こんにちは、もっちです。
爆報!THEフライデーに血液の謎の病で余命宣告を受けていた元・巨人軍の選手Sが登場され、その過酷な病気やその時の状態についてお話しをしてくれます。
そんな謎の病に侵された元、巨人軍の選手Sとは一体誰なのか、気になって調べてみると、鈴木康友(巨人)さんでした。
鈴木康友(巨人)さんは、奥様と一緒に無菌生活の治療をされていました。鈴木康友(巨人)さんも、もちろんつらかったでしょうが、奥様もさぞつらかったでしょうね。
そんな鈴木康友(巨人)さんのプロフィールや経歴、血液型がA型からO型に変わったのはなぜか、その理由について調べてみました。
目次
鈴木康友(巨人)とは?プロフィールや経歴は?
氏名・・・鈴木康友(すずきやすとも)
生年月日・・・1959年7月6日
出身地・・・奈良県
学歴・・・天理高等学校
天理といえば野球でよく聞く学校ですよね。鈴木康友(巨人)さん、天理高校では春の甲子園・夏の甲子園に4回出場されており、プロ野球選手として、巨人にドラフト5位で入団されました。
内野選手としてプロ入りして、鈴木康友(巨人)さんは、すぐに一軍として活躍をしたわけではなく、3年目になって一軍へといきました。
その後は、西武ライオンズに移籍、その後、中日ドランゴンズ、西武ライオンズと4球団に移籍され、1992年に現役を引退されました。
現役引退後は、コーチとして活動をされてきました。
コーチとしては、西武一軍のコーチなどを経験され、その後、巨人軍の一軍コーチ、オリックスの一軍コーチ、茨城ゴールデンゴールズのコーチ、BCリーグ・富山サンダーバーズの監督、埼玉西部ライオンズのコーチ、東北楽天ゴールデンイーグルスのコーチ、福岡ソフトバンクのコーチ、四国アイランドリーグのコーチなど、多岐に渡って活動をされてきて、リーグ優勝は14回、日本一は7回という結果を残されています。
選手時代の経験があったからこそ、コーチや監督としても活躍できるのでしょうね。
鈴木康友(巨人)の血液型がA型からO型に変わった?
鈴木康友(巨人)さんは、謎の病に侵されて、余命宣告を受けるほどの状態でした。
その病気は骨髄異形形成症候群といわれる病気で、白血病の前段階とも言われている病気です。
鈴木康友(巨人)さんがこの病気をご自身で自覚したのが、コーチとして活躍をしていた2017年、グラウンドでノックをしていたら息切れがすごかったそうなのです。
その息切れで、家族から検査も勧められ、病院で検査を行ったところ、難病である、骨髄異形形成症候群と分かりました。
この病気を治すために、行った治療が、臍帯血(さいたいけつ)の移植という方法。この治療をおこなうことで骨髄の機能を回復させるそうなのですが、この移植手術、成功したとしても、治る確率が、4割から5割の確率だったそうです。
4割から5割と聞くと、ものすごく怖いですよね。
鈴木康友(巨人)さんの、移植手術は成功しました。本当に良かったです。
そのときに、鈴木康友(巨人)さんは、臍帯血(さいたいけつ)の移植を受けることで、元はA型の血液だったのですが、移植してもらった血液のO型へと変わりました。
驚いたのが、移植することで、生まれ持った血液型が変わるものなのですね。
鈴木康友(巨人)さんと合う、ドナーの人の血液があったからこそ、現在も鈴木康友さんは、元気に過ごすことができているのですよね。
見ず知らずの人のために、助け合おうとする心を持つってすごいことですよね。ドナーの人たちって、本当に素晴らしい人たちですよね。
鈴木康友(巨人)は病気だった、プロフィールや経歴、血液型がA型からO型に変わったのはなぜ?
テレビで見ているだけだと、野球選手がコーチや監督になって、活躍している。という印象しか持たないものですが、こうして、爆報!THEフライデーなどの番組で人の人生を見てみると、壮絶な人生を送りながらも頑張ってきた人、そしてそれを支えてくれる周りの人たちがいるものなのですね。
感謝の気持ちを常に忘れないように私も生きていきたいなと思いました。
きっと鈴木康友(巨人)さんは、ご自身のこういった過酷な試練を乗り越えてきたからこそ、周りにも優しく、おおらかな気持ちで人に接することができるのでしょうね。
これから鈴木康友(巨人)さんがご健康で、奥様と一緒に人生を楽しく過ごせるように応援していきたいと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました☺
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